2020年4月26日日曜日

観測された感染者数に関する覚書き 3

前記事で用いた $I_E(t\,;t_P)$ および $c_E(t\,;t_P)$ を、韓国・ドイツ・日本の 3 か国およびアメリカ・ニューヨーク州について示し、それぞれについて検討する。 データにはジョンズ・ホプキンズ大学 CSSE が公開している 2020 年 4 月 23 日までの時系列データを用いた(差分を取るため 4 月 22 日が $t_P$ となる)[1]

韓国

韓国においては 2020 年 2 月 18 日に大邱(テグ)市で宗教団体に関係する感染者が見出だされ、翌 19 日に集団感染が発生していることが把握された。 その後、宗教団体に関係する者に関しては全数検査が行われた。 3 月 8 日の時点において、この集団感染による感染者が 4500 件近くあり、韓国の感染者の 6 割以上を占めていることが韓国における感染の特徴と言える[2]。 長期的に見れば、3 月後半以降、現在までに 2500 人程度の新たな感染者が見つかっており[1]、それもよく防がれているように見える。 しかし全体としてみれば発見の量は初期の動きに比べ小さい。 よって、これらはここに示した感染拡大初期に関して $I(t)$ および $c(t)$ の比較的よい近似を与えているものと思われる。

図に示されていない範囲で起こったと思われる大規模な集団感染時には、$I(t)$ の名目上の倍加時間は短かったといえるかもしれない。 しかし、それは飽くまで集団感染に起因するものである。 大邱での大規模な検査が始まった時点での観測された感染者数 $H(t)$(上図灰色の実線)の急激な上昇は多数の検査を行った帰結であり、隠れた感染者 $I(t)$ はその時点ですでに数千人いたとするのがもっともらしい。 仮にこの時期に感染自体の倍加時間 $D$ が 2-3 日のように短かい期間で拡大したのだとしても、上図のように検査と隔離の効果で増加は抑えられており、後に徐々に減少したのではないかと思われる。 実際には、初期の隠れた感染者 $I_0$ がもっと多く、$D$ がもっと長かったとして矛盾はない。 初期の韓国においては限定された集団を無症状者も含めて網羅的に検査できたことが、その後の $I(t)$ の減少に大きく寄与したと考える。 徹底した早期の検査がその後の感染拡大をうまく喰い止めた例は、規模は異なるが日本の和歌山県における病院での集団発生後の状況も事例として挙げられるだろう。

検査率を上から抑える $c_E(t\,;t_P)$ のグラフは概ね高い値を示し、倍加時間が長い場合も、初期の検査で隠れた感染者を 1 日あたり数 % のオーダーで見つけ出していたものと思われる。 $I_0$ の見積もりと合わせれば、最初の記事で述べた $A = c I_0$ はオーダーとして初期に 100 人/日程度であったろう。 例として、大邱の集団感染発覚当初からしばらくたった状況を考え、$H^* = 1000$ 人とすれば、2 月 25-26 日にこの基準を超える。 一方、2 月 23-28 日の見かけの累積確定例時定数は約 3.7 日(倍加時間約 2.6 日)の依然として短いものであった。 これより仮に $A/H^* \approx 0.1$ として、$d(\log \tilde{H})/dt = \lambda + A/H^*$ の関係を用いれば、実際の時定数は $1/\lambda \approx 6$ 日(倍加時間約 4 日)となり、検査によるの見かけの効果が実際に働いていたであろうことが裏付けられる。

ドイツ

ドイツで本格的に検査が拡大したのは 2020 年 2 月 26 日頃だが、政府が拘束力のあるロックダウンの措置を行ったのは 3 月 23 日だった[3]。 検査数は 3 月半ば頃より拡大され、1 日あたり 5 万件の大規模な検査が行われてきた[4]。 3 月下旬からは無症状者への検査も行われた[3]。 観測された感染者数(累積確定例)は、3 月中旬ごろまでおおむね倍加時間 3 日ほどであった。

極端に短くない倍加時間 ($D \geq 4$) を考えたとき、グラフから、ドイツにおいて観測された累積の感染者数 $H(t)$(灰色)が隠れた感染者数の下限 $I_E(t\,;t_P)$(実線)を超えたのは、ロックダウンが発令された 3 月下旬に入ってからであることがわかる。 すなわち、そのころには少なくともまだ把握された感染者と同等以上の隠れた感染者がいたことになる。 仮に、3 月 18 日時点で、観測された感染者の 5 倍の隠れた感染者がいたとしたとき、一定の倍加時間のもとそれ以前の感染者数がどのようであったかを破線で表している。 前出の $I_R$ に相当するこの追加の感染者は単純に指数関数的に増大するので、この程度の大きさであった場合、下限 $I_E$ との初期の比はずっと小さくなる。 よって、これらの時点で韓国ほどには初期換算感染者を削りきれていないであろうドイツにおいても、検査初期の 2 月 25 日に数千程度の隠れた感染者がいたとすれば、見かけと異なって倍加時間 4 日以上で拡大していたとして矛盾はない。

検査率の最大値 $c_E$ は、3 月初めごろまでは韓国より小さな値を示しており、長い倍加時間を想定した場合、1 日 1 % に満たないものだった。 よって、$A$ の効果もこのころには韓国より 1 桁ほど小さかったかもしれない。 その後、$c_E$ は急激に上昇しており、実際の検査率も同様の傾向があったと思われる。 このことは、ドイツの初期の倍加時間が韓国ほど短くなかったことを説明するかもしれない。

初期の倍加時間を 6 日とした場合、ロックダウン宣言の 3 月 23 日までに削った初期換算感染者数 $J(t)$(起点 2 月 26 日)は約 3100 人、倍加時間 3 日とした場合、約 490 人である(前記事の図参照)。 これは、広範な検査と隔離とが行われなかった場合、3 月 23 日までの 26 日間で、それぞれ約 6 万 2 千人と約 20 万人に拡大したはずのものとなり、判明した感染者の隔離が適切に行われているなら大規模な検査には隠れた感染者の削減に大きな効果があったことがわかる。

ニューヨーク州

大規模な感染拡大がみられたニューヨークでは、最初の確定例が見つかった 2020 年 3 月 1 日(JHU CSSE データでカウントされたのは翌 2 日)以降、検査による累積確定例の急激な上昇が見られた。 3 月 5-19 日の見かけの倍加時間は 1.8 日であった。 一方、2020 年 4 月 23 日のニューヨーク・タイムズは、3 月 1 日の時点で実際には(ニューヨーク市のみで)1 万人を超える隠れた感染者がいたのだとするノースイースタン大学の研究グループの研究を紹介している[5]。 4 月 25 日現在、研究の詳細は明らかでないが、この値は倍加時間がある程度長いとした場合の隠れた感染者の最小値 $I_E$ と矛盾しない。 図では $I_E$ が 1 万より小さい倍加時間 6 日以下の場合に関して、3 月 1 日の時点で 1 万人の隠れた感染者がいたとした場合のその後の隠れた感染者数を破線で示している。

日本

観測された感染者数 $H(t)$ や、それによる初期換算感染者数 $J(t)$ で特異的な少なさを示している日本においては、$I_E$ および $c_E$ のグラフも特異的なものとなっている。 パラメーターの倍加時間にあまり依存せず、隠れた感染者の最小値 $I_E$ は $H(t)$ に沿って増加し、検査率の最大値 $c_E$ は時間に依存しない大きな一定の値を示している。 検査の強い抑制によって、これらは実際の値と大きく離れたものでありうる。 しかし、検査の強い抑制が一定の基準で行われ続けていると考えるなら、$c(t)$ がほぼ定数となることと、$H(t)$ のほぼ一定の時定数が隠れた感染者 $I(t)$ のそれを反映していることとは想定しうるだろう。

2 月 15 日から 30 日間の倍加時間はおよそ 7 日であり、これが初期の $I(t)$ の倍加時間も反映していると思われる。 このときの $I_0$ の最小値、すなわち検査が削った初期換算感染者数は 240 人程であるが、4 月下旬も隠れた感染者が少なからず存在していることを考えれば、起点とした 2 月 14 日の感染者はこれよりはるかに多かった。 図では、$I_0$ が 1000 人とした場合と 10000 人とした場合のその後の動きを破線で示している。 隠れた感染者は検査からほとんど影響を受けることなく、ほぼ指数関数的に増大する。 倍加時間 7 日が続いていたとした場合、これらの $I_0$ による 4 月 1 日(47 日後)の隠れた感染者数は、それぞれ約 8 万 6 千人と、約 103 万人となる。

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結局、観測された感染者数の動きを隠れた感染者数と正しく区別して論じるならば、日本の観測された感染者数の少なさを、日本の隠れた感染者数がヨーロッパ諸国で想定される値よりもずっと小さいとする根拠とすることはできないことがわかる。

「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」は2020 年 4 月 1 日の資料においていわゆる「オーバーシュート」に関し「我が国では、今のところ諸外国のような、オーバーシュート(爆発的患者急増)は見られていない」として、次のような注釈を加えた[6]

オーバーシュート: 欧米で見られるように、爆発的な患者数の増加のことを指すが、2~3 日で累積患者数が倍増する程度のスピードが継続して認められるものを指す。異常なスピードでの患者数増加が見込まれるため、一定期間の不要不急の外出自粛や移動の制限(いわゆるロックダウンに類する措置)を含む速やかな対策を必要とする。(後略)
さらに太字とアンダーラインで強調し、
いわゆる「医療崩壊」は、オーバーシュートが生じてから起こるものと解される向きもある。しかし、新規感染者数が急増し、クラスター感染が頻繁に報告されている現状を考えれば、爆発的感染が起こる前に医療供給体制の限度を超える負担がかかり医療現場が機能不全に陥ることが予想される。
とした。

すなわち専門家会議によれば「オーバーシュート」は「欧米」で見られたような単に倍加時間 2-3 日の継続的拡大を意味するとし、このような短い倍加時間による増大がなくとも、医療のリソース不足による機能不全が迫っていることに警鐘を鳴らした。 しかし、この小論で明らかとしたように、ヨーロッパ諸国やアメリカの都市で初期に見られたこのような短い倍加時間の「爆発的急増」は大規模な検査を行うことによってすでにいた隠れた感染者を発掘した見かけの効果だろう。 日本が検査数を絞っているが故に、日本においてはそのような増加は見えず、逆に日本でも諸外国でもそれよりはやや長い一定の倍加時間での指数関数的拡大を継続的に続けている。 この点で日本の状況は何ら諸外国と変わる点を見出だせない。 違いは、日本の倍加時間が幸いにもヨーロッパなどよりやや長いと思われることと、逆に日本がほとんど検査を行っていないために感染者を適切に削っていくことができなかったことである。 指数関数的拡大を続ける限り、倍加時間の多少の長短にかかわりなく医療崩壊のような同等の帰結がもたらされるのは当然である。

「オーバーシュート」(overshoot) の語は、本来、なにがしかの量に対して、他の要因から想定したなにがしかの基準が先にあり、実際の量がそれを超えていくことを表すのに相応しい語である。 そうした他の要因が見えない「爆発的急増」もしくは「倍加時間 2-3 日」を単に表すとした用法は甚だ奇妙にみえる。 ここからは想像であるが、むしろその基準は上の言と逆に専門家会議こそが医療崩壊を想定していたのではないか。 倍加時間 2-3 日という事態が実在のものと思い込み、そのような事態になれば否応なくすぐさま医療崩壊に至ると考えたとするならば、「オーバーシュート」という語を用いた意味が理解できる。 実際には、そのような増加がなくとも隠れた感染者数は長めの倍加時間での指数関数的増大を続け、医療崩壊が想定される状況まで至ったために、医療崩壊と関係しない「オーバーシュート」=「爆発的増加」という本来の語の意味と合わない置き換えが成立したのではないだろうか。 もしそうだとすれば、専門家会議は自らが立てた不適切な道標によって自ら勝手に道を誤っていることとなる。